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  建築家のコラム
『工夫のClip
Board』
08 想いの表現
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| キーワード |
「開くこと」をすれば、確かに入りやすくなるだろうし、風通しも良くなるだろう。
また、外部との共有にもなるだろうが、招かざる客に対しても「開くこと」になるだろう。
逆に「閉じること」をすれば入ることを躊躇するかもしれないし、
お付き合いを避けたい人に対しての防御になるだろう。
めちゃくちゃ風通しも悪そうだ。
でも、切り替えの場としての存在にもなりそう。
じゃ、この対極にある関係をどんな表現をし、どのようなバランスで保っていけばいいの?
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| 表現 |
家にとっての外構やアプローチって、人にとっての洋服やアクセサリーみたいなものじゃないかな?
要するに自己表現。
私はこうです、こう感じてます、こうしたいですっていう・・・。
服のセンスが十人十色であるように、外構やアプローチのあり方も十人十色。
人がよく集まる人がいるように、人がよく集う家もある。
なんだかいつもヘンな勧誘を受けてしまう人もいるように、そんな人がよく立ち寄ってしまう家もある。
近寄りがたい人がいるように、近寄りがたい家もある。
これって、自己表現じゃなかろうか?
居住まいをただし、襟を正したような雰囲気を受ける家は、快い緊張感を持って訪れるだろうし、
安井さんこと探偵長の言うように「切り替えの場」にもなるだろう。
でも、それをちょっと敷居が高いと感じる人もいるかもしれない。
今日はみんなが遊びに来るから、楽しくなるようにね・・・・・、
なんて門を開いて導きいれるような雰囲気だったら、自然にラフに遊びにいけそうだし・・・。
だから、これってもしかしてその家に住む人の気持ち(想い)なのかな?
「開くこと」も「閉じること」も、こうだという形だというものは無いと思う。
住む人の気持ちで「開く」だろうし、「閉じる」なんじゃないかな?
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バランス
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結局は、家主の気持ちのバランスなのかな?と思う。
「開くこと」も「閉じること」も、住んでいる地域に対しての自分達家族のスタンスの表現のような気がしませんか?

周りとの協調と自己表現。
これを頭の片隅において家の配置や、外構やアプローチの計画を立てたらいいよね。
すでにって家でも・・・・・たとえば・・・・・、
たった3歩で道から入る家でも、玄関先に季節の花鉢でも置くだけで、
そう、それだけだって外部との共有だろうし「開くこと」にもなるだろう。
また、丹精込めて育ててあればそれだけで「居住まいを正す」だろう。
「居住まいを正す」ことをしていると、「招かざる客」ももしかして入りにくいかも・・・。
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| 勝手な想い |
住宅街を歩いていて、あ・・あの家、素敵!って言うのは、「何が」という物じゃないくって、
「その雰囲気」がですよね、おそらく・・・。
その雰囲気というのは、その家主が作っているんじゃないかな。
それに雰囲気って言うのは、1軒だけで作るものではなくて、周りとのつりあいでできているんじゃないかな?
街の中に溶け込んで、なおかつ自己表現する。
「開くこと」と「閉じること」のバランス・・・これがうまくいっていれば、
きっと素敵な街になろうし、素敵な家なんだろうなって思う。
ただ単に、自己表現を主張するのではなく、一歩引いたところから、自己表現をしていくと、
薄くなってきたご近所付き合いや地域性が少しは暖かいものになるんじゃないだろうか?
どんなに有名な人のデザインであっても、どんなしゃれたブランドの外構であっても、
周りとの協調がなければ、この自己表現が生きないと思う。
そして、そこにいる人が愛しんで、”生”を吹き込まなくちゃ結局、死んじゃうんじゃないかな?って思う。

いわゆるデザイナーズガーデンなんかじゃなくても、道路から3歩で入れる玄関でも、
そこに住む人の生きた気持ちがきっと「開く」「閉じる」のバランスを作るんじゃないかな?。
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