私が高校1年の時だった。
老いた両親と同居することに決めた父は、これまでの借家住まいに終止符を打ち、
自邸を新築した。
「みんな、自分の部屋がほしいか?」
父にそう訊かれて、私はためらうことなく「ほしい!ほしい!」と返事した。
4つ年上の姉も、目を輝かせて頷いている。
希望通り、私の部屋は洋室だった。
畳よりフローリング。ラジオから流れるのは米軍放送。
壁に飾るポスターは外国人モデル、と決まっていた。
黒いピアノと、憧れのベッド。
ばかでかいステレオと、小学校入学以来使っていたスチール製の勉強机。
それだけ置くと、足の踏み場もなかった。
その後、私は殆どのモノを置いたまま、この部屋を出ていた。
就職のため、単身上京したからである。
7年間過ごした私の部屋には、いつの間にか父のパソコンやプリンターが置かれ、
小学生用の勉強机には不釣り合いな灰皿までが侵入していた。
老夫婦二人暮しとなった今、その部屋は格好の物置き場と化している。
ところで、スミレアオイハウスには『こども部屋』がない。
「自分は『こども部屋』をゲットしたのに、ずいぶん勝手だね」
娘たちの声が聞こえてきそうである。
自分の好きにできる部屋がほしい、と思う気持ちはわかる。
でも、そう思うのはこどもに限らない。父も母も同じ。
誰だって、家に自分の居場所がほしいのだ。
建坪9坪、一部吹き抜けという小さな家を建てる時、
私たちが一番大事にしたかったのは細切れの部屋ではなく、
この空間そのものだった。
壁で区切らなくていいから、その代わり、何らかの方法で
住人それぞれのテリトリーを確保したい、とだけ思った。
つかみどころのない自由な空間は、どうとでも解釈できて不思議。
ある時は、すべてが『こども部屋』であり、またある時は私の『書斎』にもなる。
ここでは、みんなのものであるはずの空間を、
住人の誰もが自分の部屋のように使っている。